アラサーフリーランスの活動日記

自分にとってどのように生きたら幸せになれるか再考中。 その思考記録です。

「たとえ全てを手にいれても、自分自身がなければ意味が無い」:キルケゴールの言葉と自分の考え

これからの人生・働き方を考える上で指針となる言葉を2つ見つけた。
まず一つ目はキルケゴールのこの言葉。

『たとえ全世界を征服し、獲得したとしても、
 自分自身を見失ったならば、なんの意味があるというのだろうか』

by キルケゴール

もうひとつはショーペンハウアーのこの言葉。

『健康な乞食のほうが、病める王よりも幸福である』

by ショーペンハウアー



今日はキルケゴールの言葉について自分の考えを書く。

『たとえ全世界を征服し、獲得したとしても、
 自分自身を見失ったならば、なんの意味があるというのだろうか』

この言葉を自分なりに換言すると、

「たとえ全てを手にいれても、自分自身がなければ意味が無い」

ということ。
ここで指している“意味”は僕の場合“幸福”ととらえている。


この言葉は今の自分にとても刺さった。
上場企業で働き、ベンチャー企業なので今は給料は安いものの
会社が成長しているので昇進、また転職で給料は上がっていくかもしれない。


しかし、会社を休んで改めて思ったのは、働いているときにそこに自分は無かったということ。
今、休んでやりたいことをやっていると、とても自分らしくいられており、また、とても幸せで充実した日々を送れている。


生活自体は特別なことは何もしていない。
朝起きたら豆からひいてコーヒーを入れる。

コーヒーが入る間にフルーツグラノーラに切ったりんごとキウイ、ヨーグルトをトッピング。
コーヒーの香りを楽しみながら、アニメやYoutubeを見ながらゆっくりと朝食を食べる。
その後、自転車で図書館へ行き本や新聞を読んだり、ビジネスの調査をする。

昼は大学の学食で300円台の昼食を取る。
夕方ころ図書館をでて、区民プールで30~1時間ほど泳ぐ。
泳ぎ終わったら、スーパーで買物をして晩飯を作り、ゆっくりと風呂に入り、ストレッチ。

その後、ビールとワイン、ブルーチーズで晩酌をしてほろ酔いで床につく。
たまに友達とナンパに繰り出したり、友人と家でご飯を食べたり、電話で話したり。


一つ一つは何気ないこと。
ただ、その一つ一つが楽しく充実している。
基本的に会社で働いていたときはランチは1000円台のランチを食べていた。
しかし、今は生協の学食で300円台のランチ。

食費は会社で働いていたときの1/2以下くらいにおそらくなっているが、満足度は2~5倍くらいある感覚。
自分で食べるものを選び、料理し、食べる。
このプロセス全てがとても楽しい。
作る楽しみと食べる楽しみがあり2度美味しい。


ストレスを感じながらお金を稼ぎ、時間がないので時間を買うために外食をする。
ストレスを発散するために飲食にお金をつぎ込む。
そしてそれらのお金を稼ぐためにまた明日も会社に行く。


幸せを得るために僕は会社に入った。
安定した生活を10年,20年と送りたいと思ったから。
しかし、少なくとも僕の現時点の仕事力・コミュ力・性格の
自分にとっては、この会社に幸せは無かった。


会社に行っていた2017年12月までの平均生活費と会社を休み始めた2018年1月の生活費を比較すると、生活費は約8万円低下した。
1月の中旬から休み始めたので、2月はまるまる会社を休むのでもっと生活費は低下するのではないかと予想している。


会社で働いているときのほうがお金は得ていた。
その分、出費も多かった。
今は傷病手当が給与の2/3でるので所得は減る。

しかし、出費が圧倒的に減った。
そして幸福度は体感値で2~5倍増加している。
過去1年間会社で働いていたときの幸福の量を2週間程で得られているような感覚。


上場企業にいるという世間体や良い給与が得られても、自分の場合はそれだけでは幸福度を高めることはできない。
このような地位財(他者と比較したときに価値が生まれるもの)だけでは、自分の人生の幸福度を上げることはできないと身を持って理解した。


自分の幸福度を上げてくれるのは非地位財(人と比べるのではなくそれ自体で自分にとって価値のあるもの)だ。
特に重要なのは「自分がやりたいことができている状態」と「読書、料理、運動、睡眠ができる時間と心身的余裕がある状態」の
2つの状態が達成できている状態。


これらの状態を達成した日々を送るためにはどのように働き、どのように生活をしていけばよいかを今は考え、具体的にしていこうとしている。